1930年10月8日、東京に生まれた武満徹。自身が語っているように、彼が音楽に目覚めたのは10代のはじめ、終戦間際に勤労動員された際、宿舎で友人のSPレコードを聴いた時のことでした。有名なシャンソン「パルレ・モワ・ダムール(聞かせてよ愛の言葉を)」に陶然とした武満は、音楽を生涯の仕事にしようと決意、以降、その才能を磨いていきます。1950年、彼の師である清瀬保二が開催する「新作曲派協会」の作品発表会で作曲家デビューを果たし、その翌年には詩人の瀧口修造の下に集まった芸術家たちと「実験工房」を結成。前衛作曲家としての地盤を固め、1959年には「弦楽のためのレクイエム」で世界的な注目を浴びることとなりました。このアルバムには、70年代初頭の「ヴォイス(声)」から、作曲者最後の作品「エア」までの室内楽作品を収録。これらは1975年と1983年にフルート奏者ロバート・エイトケンに招かれて武満がカナダに赴いたことがきっかけとなり録音されました。エイトケンを始めとしたカナダの奏者たちは、武満から直接指導を受けており、後に「グレン・グールド賞」が武満に授与されるほどの強い絆を創り上げたことでも知られています。
●武満徹:(1)そして,それが風であることを知った~フルート,ヴィオラとハープのための(2)雨の樹~3人の打楽器奏者のための(3)海へ~アルト・フルートとギターのための(4)ブライス~フルート,2台のハープ,マリンバと打楽器のための(5)巡り-イサム・ノグチの追憶に~フルート独奏のための(6)ヴォイス(声)~フルート独奏のための(7)エア~フルート独奏のための(8)雨の呪文~フルート,クラリネット,ハープ,ピアノとヴァイブラフォンのためのニュー・ミュージック・コンサーツ・アンサンブル ロバート・エイトケン(FL)
1930年10月8日、東京に生まれた武満徹。自身が語っているように、彼が音楽に目覚めたのは10代のはじめ、終戦間際に勤労動員された際、宿舎で友人のSPレコードを聴いた時のことでした。有名なシャンソン「パルレ・モワ・ダムール(聞かせてよ愛の言葉を)」に陶然とした武満は、音楽を生涯の仕事にしようと決意、以降、その才能を磨いていきます。1950年、彼の師である清瀬保二が開催する「新作曲派協会」の作品発表会で作曲家デビューを果たし、その翌年には詩人の瀧口修造の下に集まった芸術家たちと「実験工房」を結成。前衛作曲家としての地盤を固め、1959年には「弦楽のためのレクイエム」で世界的な注目を浴びることとなりました。このアルバムには、70年代初頭の「ヴォイス(声)」から、作曲者最後の作品「エア」までの室内楽作品を収録。これらは1975年と1983年にフルート奏者ロバート・エイトケンに招かれて武満がカナダに赴いたことがきっかけとなり録音されました。エイトケンを始めとしたカナダの奏者たちは、武満から直接指導を受けており、後に「グレン・グールド賞」が武満に授与されるほどの強い絆を創り上げたことでも知られています。
トラックリスト●武満徹:(1)そして,それが風であることを知った~フルート,ヴィオラとハープのための(2)雨の樹~3人の打楽器奏者のための(3)海へ~アルト・フルートとギターのための(4)ブライス~フルート,2台のハープ,マリンバと打楽器のための(5)巡り-イサム・ノグチの追憶に~フルート独奏のための(6)ヴォイス(声)~フルート独奏のための(7)エア~フルート独奏のための(8)雨の呪文~フルート,クラリネット,ハープ,ピアノとヴァイブラフォンのための
ニュー・ミュージック・コンサーツ・アンサンブル ロバート・エイトケン(FL)