冬木透 映像音楽の世界シリーズVol.1失われていたマスターテープを発見&初のサウンド・トラックCD完成!実相寺昭雄監督の傑作映画「曼陀羅」(1971年)の音楽世界を巨匠 冬木透が描く。冬木透「曼陀羅 音楽大全」CD発売!作曲家 冬木透が音楽を担当して、鬼才・実相寺昭雄監督と残した映画「曼陀羅」(1971年)。そのマスターテープが2018年末に発見されました。録音当時のまま残されたマスターテープからデジタル化をへて完全版のCDが発売されます。テープに残っていた全音楽と、Mナンバーコールも収録した「音楽大全」完成です!暗闇の中で明滅する荘厳なパイプオルガンの響き。日本的精神、風土、エロチシズム、ユートピア・・・。ときに優しく華やかに、ときに荒ぶる轟音となるパイプオルガンの響きに圧巻です。「魔術のような」「燃え上がる炎のような」音楽が自分の原点と語る冬木透が、実相寺昭雄監督と石堂淑朗の逸脱した世界へ寄せた幻想の大曼陀羅が今よみがえります!CDへの推薦コメント 樋口尚文(映画評論家・映画監督)熱く若き荒魂たちの自爆的な挫折を描く『曼陀羅』には、冬木透の宗教音楽的なサウンドトラックが、時代のレクイエムのごとく静謐に鳴り響いている‥‥。 曼陀羅の音楽と冬木透について(西耕一)冬木透の生い立ち冬木透(本名:蒔田尚昊)は、1935年3月13日、旧満州で生まれた。父は医師であり、終戦まで40年にわたって満州で暮らした人。音楽も好きだった。冬木少年は、父の蔵書にあったSPレコードのワーグナーの楽劇『ワルキューレ』などの「燃え上がる炎のような」「魔術のような音楽」を聴いて育った。その原体験には、上記のような音楽や、満州大陸の大きな夕日、どこまでも続く地平線が鮮烈に記憶されていた。小学校の頃には戦争が始まる。慌ただしいなかであったが、音楽の女教師から数ヶ月ピアノを習ったこともあった。次第に戦乱は拡がり、学校に通うこともできずに、教科書さえも手に入らない時代になる。父は抑留され、上海にいた日本人は30人ほどだった。冬木少年は、学校に通うことなく、周りに居た日本人の大人から英語や算数を習ったという。日本へ帰国できたのは1949年、14歳のときである。日本では、母の出身地だった広島県に住み、広島市内の高校を卒業して、ちょうどその年に創立したエリザベト音楽短期大学に入学する。入学試験は、「何か作曲して提出すること」だった。作曲を学んだことはなかったが、高校時代に音楽教室で遊んだピアノのおかげで、短い舞曲風のピアノ曲を書いてめでたく合格した。大学では、作曲だけでなく、ヨーロッパ音楽を基礎から勉強しようと宗教音楽も専攻した。そこで出会ったグレゴリオ聖歌やヨーロッパの祈りの音楽にも強く影響を受けた。作曲の師は、東京から安部幸明(1911-2006)と市場幸介(19010-2002)がレッスンに訪れた。安部は広島出身で広島の音楽界の発展に尽くした人。市場は、山田耕筰、信時潔に師事して1940年には満州に渡り、新京音楽院で作曲部長を務めた人。彼らは大学を卒業後も、冬木が東京へ向かう折には協力を惜しまなかったという。エリザベト短期大学の卒業作品は『大陸の旋律による交響曲』。自身の原点である満州に想いを馳せた壮大なシンフォニーであった。ここに蒔田尚昊=冬木透の作曲家としての第一歩が刻印されているのである。オルガンと『曼陀羅』1952年、エリザベトの一期生となった冬木。そこでは学費を稼ぐためにアルバイトにも精を出す。ここで音楽にも影響を及ぼすアルバイトに出会った。それは当時広島に建設された世界平和記念聖堂へのオルガン搬入である。ドイツから寄贈されたオルガンの組み立てに関わったのである。スペイン人の技師が来日して、オルガンを組み立てていくのに夏が終わるまで従事したのであった。このことをきっかけにオルガンの仕組みだけでなく、楽器に触れることにも繋がり、オルガンへの愛着が深まり、『オルガンのための黙示録による幻想曲』(1970)なる作品も仕上げている。卒業して、東京へ出ると、TBSで音響効果の仕事に携わりながら、国立音楽大学の第3学年に編入して、グレゴリオ聖歌にも詳しい髙田三郎(1913-2000)に作曲を師事している。国立音楽大学では、ここでも不思議な事にアルバイトとして、教会のオルガニストの職を得た。この職を紹介してくれたのは、作曲家の山本直純(1932-2002)の妹だった。米軍キャンプのチャペルや、練馬のグランドハイツなど、ミサの伴奏でオルガンを弾いて、さらにオルガンの奥深い魅力に知識と経験を重ねてゆく。映画『曼陀羅』でオルガンを使ったのも冬木のオルガンへ寄せる愛着と、何故かオルガンと出会ってしまうという不思議な縁ゆえであったという。音響効果マンとして入社したラジオ東京(現在のTBS)では、音響効果だけでなく、次第に作曲も任されるようになり、ラジオドラマ『音楽の小箱』の音楽作曲を経て、テレビドラマ『鞍馬天狗』の音楽を作曲して「冬木透」デビューとなった。以後は、「冬木透」ファンならば誰もが知るストーリーにつながる。本作『曼陀羅』の音楽は、「燃え上がる炎のような」「魔術のような」、そして「大きな夕日が地平線に沈むような壮大な」イメージを原点に持ち、オルガンの機能、仕組み、その歴史的な価値をも知り尽くして、プレイヤーとしての経験にも裏打ちされた冬木透にとって、書くべくして書かれた音楽であろう。実相寺昭雄と冬木透という唯一無二の個性が出会うことで生まれた音楽。今回、紛失されたと思われていたそのマスターテープの発見によって、アナザー冬木ワールドへの扉が開いた。闇を照らす荘厳なるサウンドにひたすら耽溺しよう。発売日:2019.3.20
【本編使用曲】01.M-102.M-2T203.M-304.M-7T205.M-806.M-1107.M-12T208.M-14T209.M-18T210.M-19T311.M-2012.M-22T2【ボーナストラック(本編未使用曲)】13.M-214.M-515.M-716.M-1217.M-13後半18.M-13後半T219.M-13後半T320.M-1421.M-1822.M-1923.M-19T2(アタマのみ)24.M-19T225.M-2126.M-21T227.M-21T328.M-2229~47.冬木透、他、によるMナンバーコール集CDにはマスターテープの収録状況や劣化によるノイズがございます。
冬木透 映像音楽の世界シリーズVol.1
トラックリスト失われていたマスターテープを発見&初のサウンド・トラックCD完成!
実相寺昭雄監督の傑作映画「曼陀羅」(1971年)の音楽世界を巨匠 冬木透が描く。
冬木透「曼陀羅 音楽大全」CD発売!
作曲家 冬木透が音楽を担当して、鬼才・実相寺昭雄監督と残した映画「曼陀羅」(1971年)。
そのマスターテープが2018年末に発見されました。
録音当時のまま残されたマスターテープからデジタル化をへて完全版のCDが発売されます。
テープに残っていた全音楽と、Mナンバーコールも収録した「音楽大全」完成です!
暗闇の中で明滅する荘厳なパイプオルガンの響き。日本的精神、風土、エロチシズム、ユートピア・・・。
ときに優しく華やかに、ときに荒ぶる轟音となるパイプオルガンの響きに圧巻です。
「魔術のような」「燃え上がる炎のような」音楽が自分の原点と語る冬木透が、実相寺昭雄監督と石堂淑朗の逸脱した世界へ寄せた幻想の大曼陀羅が今よみがえります!
CDへの推薦コメント 樋口尚文(映画評論家・映画監督)
熱く若き荒魂たちの自爆的な挫折を描く『曼陀羅』には、冬木透の宗教音楽的なサウンドトラックが、時代のレクイエムのごとく静謐に鳴り響いている‥‥。
曼陀羅の音楽と冬木透について(西耕一)
冬木透の生い立ち
冬木透(本名:蒔田尚昊)は、1935年3月13日、旧満州で生まれた。父は医師であり、終戦まで40年にわたって満州で暮らした人。音楽も好きだった。冬木少年は、父の蔵書にあったSPレコードのワーグナーの楽劇『ワルキューレ』などの「燃え上がる炎のような」「魔術のような音楽」を聴いて育った。その原体験には、上記のような音楽や、満州大陸の大きな夕日、どこまでも続く地平線が鮮烈に記憶されていた。
小学校の頃には戦争が始まる。慌ただしいなかであったが、音楽の女教師から数ヶ月ピアノを習ったこともあった。次第に戦乱は拡がり、学校に通うこともできずに、教科書さえも手に入らない時代になる。父は抑留され、上海にいた日本人は30人ほどだった。冬木少年は、学校に通うことなく、周りに居た日本人の大人から英語や算数を習ったという。
日本へ帰国できたのは1949年、14歳のときである。日本では、母の出身地だった広島県に住み、広島市内の高校を卒業して、ちょうどその年に創立したエリザベト音楽短期大学に入学する。入学試験は、「何か作曲して提出すること」だった。作曲を学んだことはなかったが、高校時代に音楽教室で遊んだピアノのおかげで、短い舞曲風のピアノ曲を書いてめでたく合格した。
大学では、作曲だけでなく、ヨーロッパ音楽を基礎から勉強しようと宗教音楽も専攻した。そこで出会ったグレゴリオ聖歌やヨーロッパの祈りの音楽にも強く影響を受けた。
作曲の師は、東京から安部幸明(1911-2006)と市場幸介(19010-2002)がレッスンに訪れた。安部は広島出身で広島の音楽界の発展に尽くした人。市場は、山田耕筰、信時潔に師事して1940年には満州に渡り、新京音楽院で作曲部長を務めた人。彼らは大学を卒業後も、冬木が東京へ向かう折には協力を惜しまなかったという。エリザベト短期大学の卒業作品は『大陸の旋律による交響曲』。自身の原点である満州に想いを馳せた壮大なシンフォニーであった。ここに蒔田尚昊=冬木透の作曲家としての第一歩が刻印されているのである。
オルガンと『曼陀羅』
1952年、エリザベトの一期生となった冬木。そこでは学費を稼ぐためにアルバイトにも精を出す。ここで音楽にも影響を及ぼすアルバイトに出会った。それは当時広島に建設された世界平和記念聖堂へのオルガン搬入である。ドイツから寄贈されたオルガンの組み立てに関わったのである。スペイン人の技師が来日して、オルガンを組み立てていくのに夏が終わるまで従事したのであった。このことをきっかけにオルガンの仕組みだけでなく、楽器に触れることにも繋がり、オルガンへの愛着が深まり、『オルガンのための黙示録による幻想曲』(1970)なる作品も仕上げている。
卒業して、東京へ出ると、TBSで音響効果の仕事に携わりながら、国立音楽大学の第3学年に編入して、グレゴリオ聖歌にも詳しい髙田三郎(1913-2000)に作曲を師事している。国立音楽大学では、ここでも不思議な事にアルバイトとして、教会のオルガニストの職を得た。この職を紹介してくれたのは、作曲家の山本直純(1932-2002)の妹だった。米軍キャンプのチャペルや、練馬のグランドハイツなど、ミサの伴奏でオルガンを弾いて、さらにオルガンの奥深い魅力に知識と経験を重ねてゆく。映画『曼陀羅』でオルガンを使ったのも冬木のオルガンへ寄せる愛着と、何故かオルガンと出会ってしまうという不思議な縁ゆえであったという。
音響効果マンとして入社したラジオ東京(現在のTBS)では、音響効果だけでなく、次第に作曲も任されるようになり、ラジオドラマ『音楽の小箱』の音楽作曲を経て、テレビドラマ『鞍馬天狗』の音楽を作曲して「冬木透」デビューとなった。以後は、「冬木透」ファンならば誰もが知るストーリーにつながる。
本作『曼陀羅』の音楽は、「燃え上がる炎のような」「魔術のような」、そして「大きな夕日が地平線に沈むような壮大な」イメージを原点に持ち、オルガンの機能、仕組み、その歴史的な価値をも知り尽くして、プレイヤーとしての経験にも裏打ちされた冬木透にとって、書くべくして書かれた音楽であろう。実相寺昭雄と冬木透という唯一無二の個性が出会うことで生まれた音楽。今回、紛失されたと思われていたそのマスターテープの発見によって、アナザー冬木ワールドへの扉が開いた。闇を照らす荘厳なるサウンドにひたすら耽溺しよう。
発売日:2019.3.20
【本編使用曲】
01.M-1
02.M-2T2
03.M-3
04.M-7T2
05.M-8
06.M-11
07.M-12T2
08.M-14T2
09.M-18T2
10.M-19T3
11.M-20
12.M-22T2
【ボーナストラック(本編未使用曲)】
13.M-2
14.M-5
15.M-7
16.M-12
17.M-13後半
18.M-13後半T2
19.M-13後半T3
20.M-14
21.M-18
22.M-19
23.M-19T2(アタマのみ)
24.M-19T2
25.M-21
26.M-21T2
27.M-21T3
28.M-22
29~47.冬木透、他、によるMナンバーコール集
CDにはマスターテープの収録状況や劣化によるノイズがございます。